Spiced Ham

やってるゲームのはなしをする

推さねばオタクで在れぬのか

オタクの方々、こんばんは。

無駄に定義にこだわるオタクの話です。

 

 

 

 

自分が“推し”という言葉の意味を強く認知したのは、10年前のAKB48が流行った時代の“推しメン”という言葉が最初で、現在の広く広がったオタク用語の“推し”とすでに意味は同じだった気がします。

 

それが自分周辺のツイートを遡ると2015年頃、ゲームやアニメ等のコンテンツでも使われるようになっているようでした。

 

そしてここ数年、推しという言葉は、オタクを取り扱うメディアにおいて当然のように使われています。

 

しかし、最近そんな2文字に少しだけ違和感を覚えたのでブログに吐き出そうと思いました。

 

 

 

“好き”と“推し”の混同

違和感の正体は自分の中でこれがしっくりきました。

言葉の出始め頃は、自分も何も考えず使っていた痕跡がありましたが、今は2つを区別して発言するようにしています。

 

“推し”という言葉は

「頼む、〇〇という作品をもっと知ってくれ~~~~~~~~~~」

のように他人に推奨していきたいソーシャル的感情

“好き”という言葉は

「〇〇、良いなぁ」

で終わる自己完結の感情であると自分の中では定義しています。

 

どちらも+の感情であることには変わりなく、どちらも場面に応じて使い分けています。

 

 

 

しかし、一部メディアはとりあえず“好き”であった部分すら“推し”という言葉で上書きしているように感じます。

キャッチーな言葉でアクセスも稼ぎやすいのは分かるのですが、自己完結した感情が社会的なものとして扱われるのはなんだかなぁと思いました。

 

もうちょっとだけ使い分けてもらえるとうれしいなというはなしです

すっきりしました。

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれは僕の推しゲーム

 

13sar.jp